「札幌の路面電車」写真展 こぼれ話(早川 淳一)
おかげさまで、紀伊国屋での写真展が終了してからほぼ1週間になろうとしております。改めまして、お越し頂いた皆様にこの場をお借り致しまして、厚く御礼申し上げます。
当会にとっても、こうした形での「写真展」開催は初めてのことで、開催までにはアクシデントや「ドジ」も含めて、さまざまな紆余曲折を経た上で開催初日に。さらに写真展がスタートしてからも、多くの意見を会員で出し合いながら展示内容を「進化」させて行きました。
今回から何回かに分けて、こうした写真展開催までの「舞台裏」を紹介したいと思います。よろしければ、お付き合いくださいませ。
「さっぽろ市電日記」ブログの2月22日付で紹介した、頓宮前で立往生したササラ電車の写真(榎 陽氏撮影)。この写真は「札幌・市電の走る街」(トンボ出版刊)80ページにも掲載されていますが、この本を編集した際に記したキャプションでは「一条橋終点で立往生したササラ電車。…」となっていました。当時、榎氏の記憶や街並の雰囲気から見て、一条橋辺りでの撮影だろうという話になり、このようにキャプションを記した次第です。
写真展開催が決まり、この写真を展示する事が決まって、改めて写真を眺めてみると…。どう見ても、手前側から陽光が射しています。ということは、手前側が南側か西側になる筈。そうすると、“一条橋終点”での撮影にしては遠くに軌道や架線が続いているし、何かヘン。とりあえず、もう一度調べてみよう…ということになりました。
原版の6×6版のモノクロネガをお借りして1200dpiでスキャンし、PCで画像を開いてみると(横2500Pixel程の大画像になります)、沿道の商店の看板が何点か判読出来ます。「染一京染店」、「ます屋」、そして彼方には「野口竹篭店」…。この中のどれかが、いつも参考にしている1969年当時の住宅地図(図書館で閲覧可能な最も古い住宅地図です)に載っていないかと考え、同地図を所蔵している市立中央図書館へ出向いて、一条線・豊平線・苗穂線など市電沿線の住宅地図をしらみつぶしに調べたのですが、該当する店は見つけられず。
思案投げ首の末、大通西13丁目の札幌市資料館へ出向き、同館1階の「郷土史相談室」の担当者の方に事情説明の上、相談室で所蔵されている1950年当時の商工案内図を閲覧させて頂きました。一条線沿いをしらみつぶしに眺めて行くと…ありました、南1条東4丁目西北角(現在の北海自動車ショールームの場所)に、「野口竹篭店」が。
ということで、この写真が南1条東3丁目、電停で言えば「頓宮前」の場所から、一条橋方向を向いて撮影したものだと、ようやく判明した次第です。
それにしてもこの当時の写真を見ながら改めて感じるのは、1950〜60年代当時の札幌の都心部には「職住近接」の街並があり、人の暮らしの賑わいが垣間見えること。1963年生まれの私にとっても、これはなかなかピンと来ない“感覚”のように感じられます。
写真展のポスターのキャッチコピーに「人の賑わい」という文言が入っていますが、この写真はその雰囲気をよく映し出している、貴重な「時代の記録」なんだなぁ…と、改めて考えさせられたのでした。
長文の「楽屋噺」になってしまいました。ゴメンナサイ。
【札幌LRTの会公式サイト】
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