さぽろぐでは、初めまして(早川 淳一)
札幌LRTの会で、一応「事務局長」なるものを仰せつかっている早川と申します。
さぽろぐをご覧の皆さん、初めまして。どうぞ今後とも、よろしくお願い致します。
Facebookページにも掛け持ちで顔を出しており、同じようなネタが多くなるかも知れませんが、平にご容赦願えれば幸いです。
…さて、3月31日になりました。
39年前の今日、1973年3月31日限りで、市電一条線の一部と西4丁目線が廃止されています。
1971年12月の路線縮小に際し、4丁目十字街の西側(一条線)と南側(西4丁目線)を結ぶ連絡線が設置され、完全ループ運転が可能となってから1年4か月余りで、再び分断運転に。
この当時は地下鉄東西線の開業を機に、数年後に市電全廃が考えられており、「いずれ無くなるのだから、“邪魔”な区間だけでも先に」という考え方も、あったのでしょう。
…ところが、1973年の年末までに、事態は急展開を迎えることに。
当面(…というより、今になってみると「現在も」ですが)地下鉄の延伸等の予定が無く、市電が廃止されると軌道系交通の恩恵を受けなくなる山鼻西線沿線の住民から市電路線の維持存続が強く要望され、当時の板垣市長が市議会で「山鼻西線は当面存続」と表明。
そうなると、西線だけなら都心へのアプローチが無くなる…ということで、一条線も。さらに、エリアネットワークの観点から山鼻線も。…ということで、現存路線の存続に繋がって行くことになります。
もし、この存続決定がもう少し早かったら、多分ループ路線のまま市電は存続していたのではないかと思います。
「残存路線の運行効率化」→「東西線の着工方針確定」→「支障区間を中心とした市電路線縮小」→「全廃方針」という意思決定プロセスが背景にあった筈ですので、どこかでこのプロセスが逆になっていれば、違う展開になっていたのでしょう。
3月28日に札幌市の2012年度予算案が可決・成立し、2014年の市電路線ループ化を目指した予算措置が講じられることが確定しました。
この区間の単なる「復活」だけでなく、その先への「展開」を見据えた「ちいさな一歩」であって欲しいと、願っています。
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