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2005年07月14日

在りし日の豊平駅前 (鈴木周作)

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旧・豊平駅・・・現在のじょうてつ本社前に立つと、かつてはバスターミナルでもあったのか、ちょっとした駅前広場のようなロータリーが開けていて、その一角には「市電終点豊平駅跡」と記された金属製の立派な案内板が設けられ、かつての栄華を今に伝えています。
当時は国道36号線の中央に市電の停留所があって、歩道橋によって駅前広場と結ばれていました。その歩道橋は停留所に降りる階段こそ撤去されたものの、当時の姿を留めたまま現在もなお健在です。

さて、家に戻って文献を調べてみたところ・・・
件の駅前広場、どうやらバスターミナルではなくて市電の停留所だったらしいのです。

実は豊平駅前電停が国道の中央に設けられたのは昭和41年(1966年)の事で、それ以前には軌道は駅前を右折して、ちょうどあの駅前広場のあたりに引き込まれていました。
言われてみると確かに電車が数台停まっているのに丁度良い広さだったような気がします。
ちなみに、市電豊平線は前年の昭和40年(1965年)5月から、豊平橋の架け替え工事に伴い1年以上に亘って運休・バス代行輸送となっており、それにあわせて豊平駅前でも電停移設、歩道橋の設置工事を行い、装いも新たに昭和41年10月の運行再開を迎えたようです。

ところが、せっかくの大工事にも関わらず、わずか5年後の昭和46年(1971年)10月には市電豊平線そのものが廃止されてしまいます。
一方、定山渓鉄道も、ひと足早く昭和44年(1969年)に廃止されています。
地下鉄の建設や、モータリゼーションの進展など、急速に変わりつつある交通事情の中、路面電車や郊外電車は時代遅れの乗り物として邪魔者扱いされるようになっていました。
札幌に限った話ではありませんが、「踏切や併用軌道がクルマの邪魔になるから」という理由で行政や警察から「鉄道廃止要請」が出されるという、現在では考えられないような時代だったようです。

翻って現在・・・。
環境問題や都心部の活性化など、さまざまな都市問題を解決するひとつの方法として、各地で路面電車の存在が見直され、欧米流の「LRT」の導入を期待する声が高まるにつれ、時代の波に翻弄され、あの時期に多くの軌道・鉄道が撤去されてしまったことが残念でなりません。
諸々のベクトルがほんの少しずつ違った方向を指していたら・・・ここ「豊平駅前」は現在もなお交通の要衝として、全く違う姿を見せていたのかも知れませんね。

イラストは歩道橋の上から眺めた駅舎にかつての市電の姿を描き加えてみました。
先述の通り、歩道橋の完成と同時に電停も移設されていますから、実際にはこの角度から電車を見下ろす事は出来なかったはずです。
当会の年長会員をはじめ諸先輩方の御尽力によって、札幌市電に関する貴重な写真資料が多数残されていますが、写真としては記録できなかったこういう情景をできるだけ正確な考証の上で残し伝えていくことも大切な務めであると考えています。


※参考文献:『札幌市電が走った街今昔(JTB発行)』
『札幌・市電の走る街(トンボ出版発行)』(共に当会著)


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Posted by 札幌LRTの会 at 22:09 │札幌市電の歴史

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